自分の軌跡 (高校進学まで編)①

これまで様々な記事を掲載してきましたが、今回はこの記事を書いてるものとは何者なのかを話したいと思います。

元々僕が生まれたのは1999年で日本で生まれました。しかし、生まれてすぐ父の仕事の都合でアメリカのオハイオ州に引っ越すことになり3歳までアメリカに住んでいました。3歳までしかアメリカにいなかったのでアメリカ時代の記憶はほぼないです。

自分が3歳までいたオハイオ州

その後、父の仕事場が日本に戻り自分も日本に帰るました。その後は公立の小学校へ行きました。

ごく一般的な小学生でした。毎日友達と公園で野球やサッカーをして遊びカードゲームやビデもゲームにもはまりました。小学四年生くらいの時に親から中学受験の話しが出てきて受験の実態がよくつかめないまま塾に入れさせられました。正直この頃は勉強が好きではありませんでした。塾での成績も入塾当初は良かったものの、その後は下降するのみでした。その塾は詰め込み型の教育を念頭に置いていて日に日にストレスがたまっていく一方でした。しまいにはクラスも一番の下のクラスまで落ちてしまいました。その劣等感もあってどんどん勉強が嫌いになっていき成績は常に低迷していました。小学六年生の夏休みにさすがに勉強しないと行くとこがなくなって高校受験をしないといけなくなると思い、身の入った勉強をスタートしました。しかし、時すでに遅し。ここまでくるとみんな頑張り始めるので大きくクラスが上がることはなく受験日が来てしまいました。第一志望はS中学だったのですが結果は不合格、他の中学も不合格で自分が行きたいと思う中学は一つだけしか受かりませんでした。しかし、結果から言えばこの選択が一つ自分の人生を大きく変えたのです。

行きたいと思う中学のなかで唯一受かったH中学に進学しました。中学校でもよくいる中学生でした。ゲームにはまり勉強に没頭することはほぼありませんでした。成績もクラスで中の下くらいでした。強いて言えばクラス代表をやっていたくらいでそれ以外はゲーム(主にFIFA)に没頭する日々でした。

人生で一番遊んだゲーム

 

中学三年になると高校進学が近づいてきてそれぞれ進路について考え始めました。自分もひとつ大きな岐路に立たされていました。内の学校にはインターナショナルコース、本科コース、理系特化コースというものが存在し幸いにもその三つのコースに行くオプションが開けていました。僕自身は将来について漠然と研究系に進みたいくらいしか考えてなく、理系特化コースが妥当かなと思っていました(中学に入学した際も高校は理系特化コースにいこうと思っていた)。しかし、同時にインターナショナルコースの人と接していて、インターナショナルコースに強く惹かれていった。主な理由は情報量の多さでした。何か情報を集めたりするときに英語が使えるインターナショナルコースの人は日本語でした検索できた僕らよりも何十倍もの情報を収集することができました。これはゲームにはまっていた僕にとってもよく感じていたことで英語版しかないゲームもよくあったからです。さらに将来的に研究をすることを考えたときに情報収集という意味でも勉強という意味でも英語はどのみち必要になるであろうと感じていました。もしそうなのであれば先に英語を勉強しておき、将来研究に没頭できる環境や技能を先に整えておいて損はないかなと考え同高校のインターナショナルコースに進学しました。

ここから僕の人とはひと味違う高校時代を送り、海外大学につながっていきます。