アメリカ合衆国(以後アメリカ)といえば、世界一の経済大国で世界で影響力をもっているといっても過言ではない。しかし、彼らも暗い一面を抱えている。
アメリカでの人種差別は非常に根深い。George Floydの一件はあくまで氷山の一角でしかない。私は希望を持ちたいが、現在の社会での動きがあり、法改正等があっても人種差別はなくならないと考える。もっと抜本的改革が必要になる。ここでは特に黒人差別問題について、そもそもどのような歴史があって生まれたものなのかをかみ砕いていきたいと思う。(アトランタがなぜ黒人権利で重要なポジションをとっているのかはまた別の機会に書くとする。)
【歴史】
そもそもなぜアメリカに多様な人種が存在するのか、日本人にとっては理解しにくい部分がある。アメリカはイギリスを中心としたヨーロッパ諸国の人が乗り込んできたことでできた国だ。彼らは現地のネイティブアメリカンと呼ばれる民族を抑圧し、多くを殺した。そして、自分たちの土地として統治し徐々に経済を発展させ、次期にイギリスから独立しアメリカ合衆国を築く。しかし、ここでは白人とラテン系の人のみであった。ではなぜアフリカ系アメリカン人が誕生したのであろう。それは奴隷制度にある。奴隷が合法であったこの時代、アフリカ大陸を支配してたこともあり、大量のアフリカ人をアメリカ大陸から連れてきて、奴隷として働かせた。最初にアメリカに黒人奴隷が運ばれてきたのは、1684年になる。これはアメリカだけでなく多くの国も同じことをしていた。つまり、アメリカに多様な人種と文化が集まったのは副次的産物なのだ。
まさに人権的には暗黒時代だ。しかし、経済的には黄金期であった。奴隷と産業革命の力を使い、当時世界で大きな市場であった綿と砂糖の産業を中心にみるみるとアメリカ経済は発展していった。
しかし、徐々にこの人権問題がヨーロッパを中心に問題視され、アメリカにもその波が来た。New Yorkを中心とした北部は奴隷に依存しない経済を持っていたこともあり(工業化していた)、奴隷制度撤廃が実現した。しかしAtlantaを中心とした南部ではそうはならなかった。南部の中心産業は、依然綿や砂糖であり経済的に奴隷制度に依存していた。この対立が一つのきっかけとなり、南北戦争が起きた。結果、北部が勝利し奴隷制度撤廃がアメリカ全土で実現した。ここで初めて、黒人の独立が正式に認められた。これが1865年である。日本でいえば明治維新の少し前になる。
しかし、アメリカでの人種間の隔たりはそう簡単には消えなかった。特に南部では人種差別主義的法律であるジム・クロウ法が制定され、人種差別が正当化されていた。それによって警官による過度な暴力も起こった。公共施設の使用もいつも黒人と白人で分けられ、バスを乗るときも黒人用の席が決まっていたりした。そんな中、モンゴメリー・バス・ボイコット事件が起こる。概要としては、バスで黒人が白人に席を譲らずその黒人が逮捕されてしまった。これがこれまで黒人が感じていた不満を爆発させ、大きな運動となりバスの使用をボイコットした。その後バーミングハム運動を起きた。この運動はデモ隊は暴力を使わず、警察側が過度な暴力をふるい、それが全国で放送されることで世論は黒人の人権保護になびいた。
これらの活動で中心的な役割を担ったのが、有名なキング牧師である。彼は「非暴力」常にかかげ、暴徒化したデモを平和的デモに変えた。そして、ダメ押しにワシントン大行進を決行し、20万人以上の参加者を集めた。そして、かの有名な「I Have a Dream」のスピーチを行った。そして、1964年に公民権法が制定され、人種差別を禁じる法律が国家単位でできた。その後、1965年に血の日曜日事件が起き、さらに世論が盛り上がる。そして、同年新たな投票法が導入され人種的少数者の投票権が確保された。そして、キング牧師が暗殺された1968年、公正住宅法が導入され家を売り買いや借り貸しする際に人種や性別、国籍による差別を是正された。
これらがいわゆるCivil Rights Movementと呼ばれるものだ。
このように、アメリカでは国の半分近くの歴史が、約200年の奴隷の歴史なのだ。そして約400年以上人種間の問題は存在している。そして、このような暗い歴史があるため、人種差別はよりデリケートで人々を感情的にするのだ。常に前進しているようで、繰り返し黒人に対し差別が起きてる現状が変わらないことに不満を抱えている人は多く存在するのでしょう。そして、今60代以上の人はまた同じようなことが起きていると感じていることでしょう。
次回はアメリカでの人種差別の現状について話したいと思います。
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